プロの残業術

長野慶太著「プロの残業術」を読んだ


残業は悪なのか

私が会社に入った当初。つまりは10年近く前には残業は当たり前状態であった。残業というか、毎日誰かしら会社に泊まり込みで仕事をして、朝方に仮眠をとっている会議室から眠い目をこすりながら出てくるという風景だ。
私自身も3年目〜5年目くらいまでそんな感じで、残業に対して特に何とも感じなくなってしまっていた。
自分自身、これではいけないと思い、世に言うワークライフバランスというものを考えなければいけないのではないか?仕事ばっかりでいいのか?などとあれこれ考えた。


これを考えていたのは私だけではなかったのか、それのせいかは分からないが最近は泊まる人がほとんどいない状態になった。それどころか、10時を過ぎた段階で残っている人はほとんどいない!特に若手はほとんど残っておらず、昔、残業が当たり前のように感じていたころを知っている人がまばらにいるだけだ!
すごい!変わるものだ!ちゃんとワークライフバランスができているのか!


実際のところ、年々メンバー。特に若手層の仕事に対するがんばりや習熟度というものが下がっている感がある。これはただ単に入ってきたメンバーのレベルによるだけのものなのだろうか?人事部がさぼってちゃんと面接を行っていないのか!?
結局は"ゆとり"教育と同じことが起きてしまっているのではないだろうか?

残業せずに何をやるのか

ワークライフバランスにおいて重要なのは、"ワーク"も充実させるし"ライフ"も充実させることであって、別に"ワーク"の時間を短くすることではないはず。

それは取り返しのつかない犠牲だと言って言いすぎではない。
一つ目の理由は、「ゆとり企業社会」などは幻想でしかないからだ。
人が職場で苦しむのはストレスであって時間ではない。<中略>
二つ目の理由は、ビジネスの現場は、個々人に「ゆとり」があるかないかなどとはまったく無関係に進行しているからだ(P.9-10)

そう、そうだよ!
"ワーク"の時間を短くしておいて、家に帰ってダラダラとテレビを見る。ゲームをする。それで"ライフ"が充実しているのだろうか?友人と酒を飲むのもいい。恋人とイチャイチャするのものいい。それが自分にとっての"ライフ"の充実であるならば。
特に私が気になるのは"ワークライフバランス"を重要視する人はたいてい、"死に物狂いで残業をして働いた"経験を持つことのほうが多いことだ。その人たちは「効率よく仕事をすすめ、私生活を含めて豊かにしていくことが人間としての成長を…」的なことを言う。
ただ、今、その人たちがその地位にいたり、それだけの知識や考え方を持っているのはそういう時代を過ごしてきたというのも一つの要因ではないのではないだろうか。

どういう残業をするのか

だからと言って、むやみがむしゃらに働けばいいというものでもないし、無駄に会社に残っている必要性は無い

われわれの残業が、ほんとうにどうしようもなくつらく苦しいものだとしたら、その意味や意義が明らかになているか意識しなおしてみるべきだ(P.30)

単純に日々の仕事の延長戦として残業を持っていくのは、やむにやまれぬ場合もあるが、本書で考えられているように意味や意義を別に定義してとりかかるというのは確かに重要なことかもしれない。
つまり、それをするために通常の時間帯において、うんざりすることは片付けてしまうことが重要になる。
別に私は世に言うハックだとか効率化だとかいうのが嫌いなわけではない。
ただ、8時間の作業を6時間で終えることができたとしても残り2時間何もしなければそれはその作業に8時間かかったのと結局のところ同じだということだ。早めに仕事を終えたとして、ダラダラと煙草を吸ったりしていては、意味がないどころか周りの迷惑だ。


とはいえ、人によっては残業が難しい人もいる

残業ができる人は限られている。
私のまわりにも、やる気はあっても、子の教育、親の介護、共働きなど様々な事情で残業のできない人はいっぱいいる(P.198)

そう、この年になってあれこれ勉強しようと考えた時に残業は使いづらい場面が多くなったと感じる。
特に子供が生まれてからというのは顕著になった。今はまだ妻が産休だからマシではあるが、働き始めたらさらに厳しさを増すのではないかと考えている。
親のエゴかもしれないが、子供の教育上親が普段家にいないというのはあまり良くないだろう。そう考えると、昔のように遅くまで仕事をするのが難しくなってくる。
家に帰ってからも、落ち着いた時間というのは明らかにとりづらくなっている。


自分自身の勉強の仕方というものは、やはり考えていかなければいけないだろう。